イギリス留学日記

便所の落書き程度

切ない

胸がキューっとなる気持ちは、嬉しい時も悲しい時もエネルギーを使うなと思う。

 

祖父が、具合が悪く、弱っているみたいだ。

パンデミックの中、帰れないのがとても切なく、辛い。

手を握ってあげたい。祖母を励ましてあげたい。

 

今日、祖母が、祖父にいる施設に行ったらしい。

その時、寝たきりの祖父をみて、”お父さん、起きよう。もう一度、お豆腐屋さんをやろう”と言ったみたいだ。

 

こんなに切なくて苦しい思いは、これからも、この先もいくらでもあるのだろう。

生きるということは、美しくもあり、辛くもあり、悲しくもある事だ。

なんだか、祖父にしっかりしろ、と言われてるような気がした。

 

頑張ろう。

目の前の事に精一杯になろう。

残された時間は短いかもしれない。けど、前を向かないといけない。

 

 

アンヘルシー

どれだけリアルに死を考えるかって結構みんな考えてそうで考えてない、という事に最近気がついた。

死は一番思想的に遠くて、一番身体的に近い存在だと思う。

 

私のその覚悟は伝わるのだとは思うが、若干仕事においては、女の人にはフェアではない事があるなと思った。もちろん今それを埋める為の努力をしてるわけだが、一定数、足切りされちゃうところがある。男性の学歴と同じように。

まず、私が尊敬するデザイナーさんについてある男性に話した時の、その一言。

「別に綺麗でもなんでもないのに、すごい活躍してるんだね」

仕事の内容に、容姿が綺麗もクソも関係あんのか?すっこんでろ?と思ってしまいました。腹立って死ぬかと思った。という気持ちもありつつ、20キロ痩せた自分もいる。まじでウケるのです。でもまあいい。

女の人はここから入るフィルターが多分男の人より高いんじゃないかな、と思った。

そういう思想の上司と働くのは、苦痛であると思う。

でも20〜30代の人は、仕事に対する価値観変わって来てるな、と思う反面、綺麗な人と結婚したいとかは変わらない思いも抱いてるんだなと思って、そこがまたおかしくもあり、愛しくもあるのがわかる。でもそれを教えてくれるのもまた男性であり、女性でもあるという事を忘れてはならないね。お互い様ってやつかしら。

 

企業というか、将来ブランドをやってく上で、こういったジェンダーの問題は絶対考えないといけない。

だから興味あるんだなと思った。

だからね、自分の”いいところ”をちゃんと自分が自覚して、言語化して、行動したら、なんかハッピーになれそうな気がしました。

 

 

 

 

 

記憶3-タオルについて-

フワフワに弱い話。

なんだか私はフワフワした物に弱い。最近寝る時、フワフワした物がないと寝れない事に気がついた。

今、日本にいる猫たちを思い出すと、何が好きでたまらないのかな、何が恋しいのかな、と考えると、彼らの柄や触感だなと気がついた。

猫の毛は犬の毛とも違う手触りを持っている。

細くて、優しい質感。私は猫そのものも美しくて好きだけど、猫の手触りも好きだ。

猫を触ると、なんだか昔、お母さんと話した優しい記憶みたいな物が思い起こされる。

もしかしたら、猫からはお日様の匂いがするからかもだし、お母さんの優しさ、大きな大きな器、みたいな物を触感からもとても感じる。優しい、優しい触感。

太陽の匂いは、お母さんの匂いでもあるし、猫の匂いでもある。お布団の匂いでもある。お布団て、なんだか柔らかいし、四角だけど、角がなくて、まるっとしてて、なんだか愛らしい。フワフワしてる。

ベッドもいいけど、お布団もいいなあ。

タオルって小さい物だけど、こういう記憶を私に呼び起こさせてくれるツールだなと思った。タオルを通して、小さい頃自分なりに思った雲の触感を再現してみるのも面白いかもしれない。タオルでできた椅子とか可愛いかも。

わたあめと出会って、タオルが雲だという概念は少し薄まったけど、なんかそんなプロダクトを将来作れたら、嬉しい。三軸織には可能性感じる。でも素材が重要かな。

椅子って構造がなくても、成り立つところが好き。雲みたいなクッションとか椅子作ってみたいな。柔らかい物は脆い。だけど柔らかい物は強い。形が変わるから。そんな物をどうやったら作れるか、妄想するのが楽しい。

 

 

 

”私”とは

ディスカッションの途中で、反対意見があると、よく聞きもせず、却下する人が多いなと思う今日この頃。

よほど自分の意見に自信があるのか、なんなのか。

ものづくりにいる立場の人が色々な意見を聞いて、そしてそれを試す事をしないのはよくないと思う。皆表層に囚われすぎなのではないかな。いい事・悪い事は自分では判断できない。ニュートラルな視点を常に持つべきだと思う。割り切りが必要なとこもあるけど、意見は意見として受け入れるべき事は受け入れた方が、自分も他人も幸せになれる事の方が多いんだけどな、と思う。betterな選択は、結局bestの選択になると思う。betterな選択には人を信じる気持ちが入ると思う。個人的に思う事だけど。

なんとなくだけど、まだまだそんな雰囲気が色濃い日本の社会だと思いました。闘う、というよりは見方につけて共闘したいです。そのバランスって難しいから、やっぱり実力をつけて上がるしかない。

同じ立場に行かないと同じ意見が言えないのは当たり前。だから努力するしかない。

こういう時に私は、自分の性別を嫌というほど思い知らされる。

けれども、ヨーロッパにいてよかったと思う。そこが私のラッキーなところ。だからこの環境と自分のポテンシャルを潰さないように生きるんだ。ああ卑しい。ああ汚い。ああ辛い。そんな思いがまた湧いてきては消えていく。自分を保つには自分に勝たなくてはならない。

日本の美術やデザインの為に何ができるだろう。何が正解なんだろう。そんな事を思いながら生きる。

努力は必要だ。努力は実るものではない。実らないものでもある。そこに直面した時に、私は、私を保たないといけない。そのプレッシャーは、たまにどこですっきりさせたら良いんだ?と思う。

でも何も残らないわけじゃない。という事を希望に、地道にやるしかない。10年美術とデザインを勉強してやっと本質がわかった。あとはその使い方。やっぱり人より時間がかかる。割り切りや決断が下手くそで悲しい。悲しい。悔しい。

本物の人と仕事したい。本質がわかる人と仕事したい。その為には本物になるしかない。時間はかかる。でもヨーロッパと日本と、二つの拠点でできそうな私は、強いと思おう。ラッキーな人間だと思おう。

今更になって、憧れのデザイナーさんに言われた、仕事やその仲間は、下手したら家族より大事だ。という言葉の重みを感じた。このプレッシャーを背負って生きるのは、とてもハードだ。

でも好奇心に勝てない。諦めたいけど、諦められない。不思議な人間。

 

覚悟

私は正論パンチ女らしい。

正論を言うと馬鹿をみる。そんなの知っていた。

でも私は正論を言って体当たりして生きてきた。間違ってることは間違ってると言って生きてきた。正直これはもう変えられない。柔らかくなる必要はあるが。

私がそれをやってしまったら、おしまいだ。ここは勇気を持って、企画を出してみようと思う。

カッコよくいたい、自分がやりたい気持ちもあるが。

でも企画の進行、管理はきっと将来に役に立つだろう。

 

いろいろなモノのバランスの狭間を、傷つけながら、傷つけられながら生きてきた。

もう迷ってもしょうがない。

しょうがないが、人間だから辛いこともある。弱くもなる。

そんな時のカヤノヤの出汁のお願いくらいは許されるだろう、と思おう。

それで十分じゃないか。

負けない。負けたくないのだ。弱さを受け入れよう。

肩は重い。けど背負ったまま歩かないといけないのだ。そうでなきゃ負けるのだ。自分に。

 

私は正論パンチ女なので、その正論をかます為に、私が強くならないといけない。

その正論を通すために、泣きながら私は努力をする。きっとこれからもたくさん強くなる。これからもきっとたくさん泣く。たくさん傷つく。

でも傷つけられた分、人を傷つける人間にはなりたくない。

ならない。

 

世の中間違っている事がたくさんある。

私は日本人で、外国人で、デザイナーで、人間だ。

私は日本の良くないところにたくさん傷つけられてきた。

日本のことなかれ主義、臭いモノには蓋的な性質のせいでたくさん泣いてきた。

そしてたくさん傷つけられた人を見てきた。諦めてきた人を見てきた。

でもこの日本の社会で助けられた事もたくさんあった。

 

だからもう我慢ならないのだ。もう我慢ならないのだ。

不可能を可能にするために生きるんだ。

それに一生を捧げよう。

デザインの仕事は全然綺麗じゃない。醜くて、劣悪で、汚い仕事だ。

でも美しくて、儚くて、切なくて、愛しい仕事だ。

辛くて何回も辞めようと思った。

でも楽しいから辞められなかった。泥にまみれようが、貧乏だろうが、死ぬまでやるしかない。

デザインとは、喜びであり、愛だ。

 

私はデザイナーになる。

私はテキスタイルデザイナーになる。

私にテキスタイルがあってよかった。

テキスタイルが人間の生活の根源でよかった。

衣・食・住のバランスを探る旅をはじめよう。

人間の生活の根源を見直そう。

そして、女にも男にも、”人間”に敬意を示そう。

強く生まれた者の使命

人生でこんなに悩んだり落ち込んだりする事、初めてかもしれない。

それと同時に、今まで理解してたようでできなかった人たちの気持ちを改めて考える事ができるようになってよかったなとも思っている。

中々自分のやりたい事とリンクがいかない中、ただただ携帯を眺める毎日を過ごしていたけども、人の力を借りることが悪い事じゃないと思えてよかったなと思ってます。

単純に今の状況は自分で答えを決めるしかなく、非常に不安な時期でもあるけど、何かしらやってる人にはお金出なくても助けてもらえる事があると思う。

お金だけが全てではないけど、達成感がわかりやすいのもお金だ。

 

私はテキスタイルを通して何をしたいのか、という事を今一度考えて言葉にすべき時期なのだととても感じる。

私がやりたい事。楽しい、愛しい、嬉しい空間を作る事。

何か切羽詰まった時にホッとしたり、美しいと思える瞬間は人を救えるかもしれない、そんな思いで作品を作っている。それは不要不急かもしれない。けれどもその記憶の根底にある気持ちはずっと残って、誰かの支えとなるかもしれない。

 

そのエレメンツの一つとして機能してくれれば、こんなに嬉しい事はないと思う。

人に喜んでもらう事。まずこれを前提としたデザインをしていこうと思う。

喜びや美しさの体験、そのものを作っていく仕事をしたい。

人にとっては原体験となるようなものを。