イギリス留学日記

便所の落書き程度

願書を出しました

1月23日に願書を出しました。ダメなようなそうでないような。。。不安ですが、自分を信じます。

 

さてブログ始めた理由だけど、自分の健忘録のために書くことにしました。

主に本の感想やデザインについて書こうかなあと。

思っても書くことってあんまりしてこなかったし。

 

記念すべき1回目は『are we human? 我々は人間なのか?』という本です。

この本は、19〜20世紀に産業革命と高度経済成長期の時に生まれたグッドデザインという定義の時代は終わったから、21世紀のデザインを定義しようよ、という本です。(たぶん)確かに情報革命が起きて、AIだなんだって出てきてて、デザインの定義っていまだに問題解決と思われている。解決じゃなくて、提起しようよーてことでスペキュラティヴ・デザインが生まれて来たのだけど。(アートとの違いはなんだ、とか疑問は多々あるので、本を読みたい)

この本に寄ると、iphoneはグッドデザインの真骨頂だそうです。このスマートフォンという画期的な物発明されてから、私たちと世界中の人々は、インターネットを通してより身近になり、より密接な関係へと進化しました。そう、私たちの生活は進化したのです。家という建築と、オフィスという建築の境はなくなり、今や自宅のベッドから動かずに仕事ができる時代です。果たして建築の持つ意味、すなわちデザインの持つ意味(言わずもがな建築はデザインの起源というか基礎となりますよね)とはどのように変わらなければならないんでしょうか。再考する時が来たぞ、ということかなと思います。石器時代から今の時代まで、デザインの定義は変わり続けてきたわけだもんね。

結局、この本の中でも定義ははっきりと書かれていません。

ちょっと逸れますが、人間はやはり動物なので、寝て、食って、子孫残して、という他の自然や動物たちと変わらない命に、様々なイベントがあるだけだと思うんですよね。そういう付加価値をつけようと考えたところが、本当に人間の面白いところであり、不思議なところであり、変な生き物だなと思うのですが。そもそもこんなに人生を盛り上げようとしたのは、一体どう言った理由からなのでしょうか。やはり人との繋がりを求めているからなのでしょうか。それは愛情があるからなのでしょうか。他の動物の持つ愛情と種類は一緒のはずだけど、言葉があり、気持ちを共有する、そんな欲求が強い動物なのが人間なのでしょう。それがデザインという行為へと繋がっていったのだと思います。

人間は進化しているようで進化していないのだと思います。

 

とある建築家が、人間に対する愛情をどういう形で提供するか、それがヒューマニズムだとおっしゃっていました。今も昔もその思いは変わらないはずです。でもそれが地球規模で脅かされそうになっている。そんな時代に入っているんだなと思いました。ヒューマニズムということだけ考えていては、どうにもならないことが起きているのかなあなんて、この本や日々生活をしていて感じました。

私はテキスタイルデザインを通してどうしたいんだろう。そういったことも含めて、勉強したいと思います。

 

次回は『フンボルトの冒険』でも読みたいと思っています。

 

 

2018.02.06