イギリス留学日記

便所の落書き程度

記憶2

水に関して。

私は幼い頃から水がとても好きだ。なぜだかわからないが、その透明さ、光が反射してキラキラと輝く様は宝石よりも不思議で綺麗だなと思った。

ただ器に水をいれるだけでも何時間も眺めていられる。

何よりも興味を掻き立てたのは、”カタチ”を持っていないところだった。

蛇口から出れば、ロープ状になり、丸い器に入れれば、丸いカタチになる。

水が創り出すテクスチャはどれも人為的でなく、自然にできたものである。一時として同じカタチである事はなく、それもまた眺めているのが好きだった。

 

そしてもう一つの魅力はその触感だった。冷たい水には刺すような感触を感じた。もちろん水が冷たいからであるが、まるでガラスの中に手を入れているような硬さを感じた。硬いのか柔らかいのか。

暖かい、生温い水は、ゼリーのような触感を感じていた。冷たい水とは違って、なんだかギュッと掴めそうな感触。

 

不思議な感覚を味わいたくて、川や水道を見つけた時は必ず手をつけた。

 

無重力の空間では正円になるというのを勉強してから、水はやはり生命の象徴的存在で、命と同じく循環し、巡るものなんだと感じた。

 

 

 

 

 

記憶1 祖父の家

私の祖父の家はお豆腐屋さんだ。

決して大きなお店ではなかったけど、水につけてる時にする独特な大豆の匂い、油あげやがんもの匂い、出来立ての豆腐の匂いはいつも小さなお店と居間に漂っていた。

お金入れに使ってた真っ黒のアルミ缶、古い黒電話の音、お店と居間を繋ぐガラス戸のガタシャンガタシャンという音、全てが懐かしい。

 

たまに、夏休みに両親が旅行に行ったり、用があると祖父の家に預けられた。

日中は祖父の畳の部屋にいたりして、祖父と一緒に相撲を見たり、家の隣にいある空き地に行って、野草を見たりしていた。

祖母が洗面器に水を張ってめだかを買っていたのも覚えていて、仄暗い水にプカプカと浮かぶ水草と、その合間を縫って泳ぐ小さな魚等をよく見たりしていた。あとは片付けや店番をする祖父や祖母の仕事ぶりをよく見ていたように思う。時々、井戸水を触らしてもらったり、足にかけてもらったりした。水道水とは違い、山奥に流れる川の水のような清涼さがあって、とても気持ちよかった。

 

夜になると、畳の部屋に布団を敷いて祖母の隣に寝た。最初はオレンジの光の豆電球を灯してくれるのだが、祖母が寝る時には真っ暗になる。

真っ暗になった途端、柱時計のカチコチカチコチ言う音がやけに耳につき、とてつもない孤独を感じた。いつもの布団とは違う匂い、障子越に見える光や影、青白くボンヤリと光る空間。夏の夜の不思議で神秘的な雰囲気と、畳の匂いと仏壇から香る微かな線香の匂いは今でも覚えている。セミの音も聞こえず、都会の夏の夜はひたすらに静かだったように思う。

 

いつ障子の前を霊が通るのかと変な妄想に掻き立てられ、寝れなくなったりもした。

トイレに行きたくなったが、その前にある階段は、手前の方だけ月明かりに照らされて(街頭かもしれない)明るく、そこから先は真っ暗で、何も見えない。階段の先は、何か違う世界に続いているのかと考えたり、いきなり何か女の人のようなお化けが這って登って来たらどうしようなどと言う恐怖から、中々布団から動けない。

 

そんな私を見越してか、祖母は、2時間おきくらいに「暑くねえか?クーラー下げようか?」と言ってうちわで風を送ってくれたりしてくれたものだった。そうして声をかけてくれるだけで随分気が楽になった。

「ばあ、トイレに行ってくる」と祖母に告げ、何かいるかもしれないと思いながらビクビクしながら障子をあけ、物凄い速さでトイレへと駆込み、用を足す。そして帰りも同じように戻り、布団の中に戻ると、祖母はまた「寝れるか?寝苦しくないか?」とよく聞いてきてくれた。そんな時、必ず背中を撫でて、とお願いした。私は肌が弱く、背中に湿疹ができる事が多々あったからだ。

祖母の手は水仕事によってカサつき、指の節は太く曲がっていた。決して女性らしいふくよかな手ではなかったが、私はその手が大好きだった。働きものの手、だ。乾燥してざらざらした手は、爪を立てて掻かなくても、撫でるだけでまるで背中を掻いて貰っているように心地が良かった。そうして撫でてもらっているうちに眠りにつき、明け方に目が覚めると祖母と祖父は既に起床し、布団は既に3つ折にして畳んであった。

 

なんとなくそのまま眠りにつけなくて、寝巻きのまま下に降りると、祖父母は豆腐作りをしていた。祖父が大豆を炊き、機械へと投入すると、豆がドロドロになって出てくる。それを絞って、絹ごしはステンレスの器へ、木綿豆腐は木の器へ入れ、苦汁を入れて混ぜる。よせ豆腐はどうやって作っているのか定かではなかったが、よく祖父は、豆腐に固まる前の状態の物を指ですくって少し口に入れてくれた。今まで食べたどんな豆腐よりも甘く、大豆の優しい香りがして、美味しかった。

 

そのまま眠くなってまた布団に戻り、10:00頃目が覚めると、次は油あげを揚げる時間だった。揚げ物は全て祖母の担当だったように思う。がんもどきの下準備までは祖父も一緒にやっていて、大きな赤子が入りそうなくらいのステンレスのボウルに、綺麗なオレンジ、黒が混ざった ’がんものもと’ が入っていたのをよく覚えている。

 

祖母は、10:00ごろから昼間にかけて、大きな、私の指の太さくらいある菜箸を使って、油揚げを上げていた。出来損ない(千切れたり、形の悪い物)の油揚げをその箸で何枚か掴み、「お皿持っておいで。」と祖母が言った。お皿を持っていくと、揚げたてのそれらをお皿に入れてくれて、醤油をさっとかけてくれた。揚げたての油揚げの味も、今まで食べたどの油揚げよりも、香ばしくて、油の香りがよくて美味しかった。

 

そんなこんなで小さい頃から、豆腐や油揚げの美味しさを知っていたので、スーパーや給食で出る大豆製品が大嫌いだった。母親とスーパーで豆腐を買っては、まずいね、でも、しょうがないね、と言って食べていたのをよく思い出す。

 

最近の豆腐はおいしくなったなあと思うが、夏の早朝に、あの祖父の家で食べた豆腐の味は、この先も一生忘れないと思う。

記憶0

これから見た夢とか、幼少期の思い出とか少しずつ書き溜めておこうかなと思う。

 

自分の為に。

 

 

生きることの原点は百姓である、と倉俣さんは言っている。(未現像の風景より)

私も、そう思う。

百姓は百の事ができるから百姓だと。

だから自分の作品にこれができるとかできないとかは決めなくていいかなと思った。

女性としている事

今日、猫のトイレを掃除し忘れた時(正確には面倒だから明日の朝でいいやと思い、やらなかった笑)、母に言われた一言が気になった。

「子供を育てる資格がない」

 

待て待て、子供を育てるのに資格はいるのか?

そもそも、子供を産み、育てる事はそんなに偉い事なのか?

子供はいなくても立派な人間はいる。

そして私だって別に子供が欲しくないわけじゃない。

 

私には夢がある。だが、仮に、偶然、子供ができたとする。

そうなった時、どっちも追うのはもちろんいい事だ。できる人やサポートが得られる人は大いに頑張って叶えてもらいたいと思ってる。応援したいと思う。

 

では、挑戦しようとしている事で、子供に負担をかけたくないと思う私の気持ちはなんなのか?どっちもやれる自信が今はないからいい、という考えはなぜ尊重されないのか?別にいいじゃないか。子供を育てるってクリエイティブだけど、人生においてそんなに大事な事なのか?と思うのは変なのか?

はずみでできる事もあるだろう。

それを理性でコントロールする事をしてはいけないのか?

そういう価値観が、女性が女性の地位を貶めている一つの要員ではないのか?と思う。

確かに自分を犠牲にして、時間を費やして我が子を育てる事は、体力、努力、そしてお金もかかる事だ。時間も限られてる。

実際姉の生活を見ていても頭が下がるなと思う。もちろん自分の母親に対しても。

 

でもなぜ私がやりたいと思った事をやってはいけないんだ?とも思う。

結局母親の根底にもこういう考えが少しはあるのかなと思って、少しがっかりした日だった。

 

デザイナーとしての信念

日本人女性、かつ世界で活躍するテキスタイルデザイナーとして生きるための信念

 

・ある物(自然の動きや、光)を最大限有効的に活用し、美しく、そして新しい空間を創る為のテキスタイルデザインを創る。

・シンプルであること

・テキスタイルの概念を壊す事に常に挑戦すること

・落ち込むなとは思わない。でも諦めない。

・健康でいること

・自分の感覚を信じること

・常識を疑うこと

 

人は宗教に始まり、宗教に終わる。

心のよりどころが細分化したにすぎない時代だ。

人々が神とみなす対象物、免罪符は

時代とテクノロジーによって変わる。

よって、自身の哲学を持ってデザインを行う。

 

 

 

 

I want to collaborate with architects.

 

Because I think houses or places we live in is the most fundamental and important environment to nurture human beings. It doesn't matter who bring up children. For me, the most important thing is that to know there is someone who loves you and cares you. Our society should be like the person. I would like to provide the place and making people familiar with their own houses, town, society and country because houses are also hometown for human beings. Not country.

自分をみてくれている人がいる。

それを知り、その方達の為に貢献する事が一番の幸福なんだ思う。

 

自分が思った正しいことをしよう。

ユニクロに言いたいのは、ユニクロが合わない人もいるって事を理解しろよ。という事。

コロナウイルスと人間

コロナウイルスについて考えた事を書き記しておこう。

人間というのは、矛盾を抱えて生きているという事。

誰かを救えば、誰かを失望させる事になる。

だから色んな人間がいていいのだと思う。

私の結論はこれだ。

 

私が必死に勉強するのはなぜか。

RCAに行って、現在私達が抱えている問題を知り、失望した時もあった。

近代化の意味とは、西洋の意味とは、東洋の意味とは、哲学とは。

考えても答えのでない物ばかりである。

知りたくて勉強した。まだ勉強している。

 

自分の理想とはなんだろうか。

不満や不平を無くす事だ。不平や不満は何から生まれるのか。

コミュニケーション不足からだ。

 

日本に足りてない物。コミュニケーションだ。

それが露呈したのもコロナウイルスのおかげだ。そして自分の弱点を知るきっかけともなり、決心をより強めるものになった。

 

私は現在学生という立場だ。今ビジネスをしている人たちの立場でこの状況を考えると半端じゃないプレッシャーがあると思う。

しかし私はこうした経験や人からの考えを参考に、自分のステップとして行く。

なぜか。

生き残るためだ。やりたいと思った事をやってみたいからだ。

人間とは、矛盾していて、剛の深い生き物だ。

しかしやってみたいのだ。不慮の事故や、自然災害等の原因で死にたくないのだ。自分のできる事は全てやってみたいのだ。

 

ここで私がRCAで1年で学んだ事を振り返ろうと思う。

・歴史に敬意を払え。世の中に変革を与えた人には、国籍も人種も関係ない。

・温故知新。古きを知るものは新しきを知る。

・テクノロジーの使い方を考えろ。テクノロジーはツールでしかない。表現の一つのツールだ。

・伝統と革新を追い求めろ。

・手で作れ。まずは手で知れ。お前が思っている以上にお前は物を知らない。

・徹底的にリサーチしろ。リサーチを五感でやれ。視覚は情報の一部でしかない。感じる事を大事にしろ。感じる事を言葉にしろ。人に伝わるように視覚化しろ。

・準備しろ。準備を制する物は全てを制する。プランを立てろ。他の道を探れ。

・チャレンジせよ。

・諦めるな。

・他人の声に耳を傾けろ。盗める物は全部盗め。

・仲間を作れ。

 

以上。

結局基本のキをどのくらい徹底するのか。

人生はそれに尽きると思う。