イギリス留学日記

便所の落書き程度

記憶1 祖父の家

私の祖父の家はお豆腐屋さんだ。

決して大きなお店ではなかったけど、水につけてる時にする独特な大豆の匂い、油あげやがんもの匂い、出来立ての豆腐の匂いはいつも小さなお店と居間に漂っていた。

お金入れに使ってた真っ黒のアルミ缶、古い黒電話の音、お店と居間を繋ぐガラス戸のガタシャンガタシャンという音、全てが懐かしい。

 

たまに、夏休みに両親が旅行に行ったり、用があると祖父の家に預けられた。

日中は祖父の畳の部屋にいたりして、祖父と一緒に相撲を見たり、家の隣にいある空き地に行って、野草を見たりしていた。

祖母が洗面器に水を張ってめだかを買っていたのも覚えていて、仄暗い水にプカプカと浮かぶ水草と、その合間を縫って泳ぐ小さな魚等をよく見たりしていた。あとは片付けや店番をする祖父や祖母の仕事ぶりをよく見ていたように思う。時々、井戸水を触らしてもらったり、足にかけてもらったりした。水道水とは違い、山奥に流れる川の水のような清涼さがあって、とても気持ちよかった。

 

夜になると、畳の部屋に布団を敷いて祖母の隣に寝た。最初はオレンジの光の豆電球を灯してくれるのだが、祖母が寝る時には真っ暗になる。

真っ暗になった途端、柱時計のカチコチカチコチ言う音がやけに耳につき、とてつもない孤独を感じた。いつもの布団とは違う匂い、障子越に見える光や影、青白くボンヤリと光る空間。夏の夜の不思議で神秘的な雰囲気と、畳の匂いと仏壇から香る微かな線香の匂いは今でも覚えている。セミの音も聞こえず、都会の夏の夜はひたすらに静かだったように思う。

 

いつ障子の前を霊が通るのかと変な妄想に掻き立てられ、寝れなくなったりもした。

トイレに行きたくなったが、その前にある階段は、手前の方だけ月明かりに照らされて(街頭かもしれない)明るく、そこから先は真っ暗で、何も見えない。階段の先は、何か違う世界に続いているのかと考えたり、いきなり何か女の人のようなお化けが這って登って来たらどうしようなどと言う恐怖から、中々布団から動けない。

 

そんな私を見越してか、祖母は、2時間おきくらいに「暑くねえか?クーラー下げようか?」と言ってうちわで風を送ってくれたりしてくれたものだった。そうして声をかけてくれるだけで随分気が楽になった。

「ばあ、トイレに行ってくる」と祖母に告げ、何かいるかもしれないと思いながらビクビクしながら障子をあけ、物凄い速さでトイレへと駆込み、用を足す。そして帰りも同じように戻り、布団の中に戻ると、祖母はまた「寝れるか?寝苦しくないか?」とよく聞いてきてくれた。そんな時、必ず背中を撫でて、とお願いした。私は肌が弱く、背中に湿疹ができる事が多々あったからだ。

祖母の手は水仕事によってカサつき、指の節は太く曲がっていた。決して女性らしいふくよかな手ではなかったが、私はその手が大好きだった。働きものの手、だ。乾燥してざらざらした手は、爪を立てて掻かなくても、撫でるだけでまるで背中を掻いて貰っているように心地が良かった。そうして撫でてもらっているうちに眠りにつき、明け方に目が覚めると祖母と祖父は既に起床し、布団は既に3つ折にして畳んであった。

 

なんとなくそのまま眠りにつけなくて、寝巻きのまま下に降りると、祖父母は豆腐作りをしていた。祖父が大豆を炊き、機械へと投入すると、豆がドロドロになって出てくる。それを絞って、絹ごしはステンレスの器へ、木綿豆腐は木の器へ入れ、苦汁を入れて混ぜる。よせ豆腐はどうやって作っているのか定かではなかったが、よく祖父は、豆腐に固まる前の状態の物を指ですくって少し口に入れてくれた。今まで食べたどんな豆腐よりも甘く、大豆の優しい香りがして、美味しかった。

 

そのまま眠くなってまた布団に戻り、10:00頃目が覚めると、次は油あげを揚げる時間だった。揚げ物は全て祖母の担当だったように思う。がんもどきの下準備までは祖父も一緒にやっていて、大きな赤子が入りそうなくらいのステンレスのボウルに、綺麗なオレンジ、黒が混ざった ’がんものもと’ が入っていたのをよく覚えている。

 

祖母は、10:00ごろから昼間にかけて、大きな、私の指の太さくらいある菜箸を使って、油揚げを上げていた。出来損ない(千切れたり、形の悪い物)の油揚げをその箸で何枚か掴み、「お皿持っておいで。」と祖母が言った。お皿を持っていくと、揚げたてのそれらをお皿に入れてくれて、醤油をさっとかけてくれた。揚げたての油揚げの味も、今まで食べたどの油揚げよりも、香ばしくて、油の香りがよくて美味しかった。

 

そんなこんなで小さい頃から、豆腐や油揚げの美味しさを知っていたので、スーパーや給食で出る大豆製品が大嫌いだった。母親とスーパーで豆腐を買っては、まずいね、でも、しょうがないね、と言って食べていたのをよく思い出す。

 

最近の豆腐はおいしくなったなあと思うが、夏の早朝に、あの祖父の家で食べた豆腐の味は、この先も一生忘れないと思う。