イギリス留学日記

便所の落書き程度

デザインの本質

何を武器にして戦っていくのか、と考えた時、私は日本の空間美、間に着目したいと思う。

日本の美しいものって”かたち”自体もそうなんだけど、その”かたち”を取り巻く空間、空気がどこかピンと張り詰めているように感じる時もあれば、フワッと柔らかく春の日差しのように感じられる瞬間もある。

茶室や床の間、というのはそういった四季や自然の美しさを空間の中に取り入れるという事を試みているわけだけど、その部屋や空間や間取りは自然の美しさを引き立たせるために、シンプル、かつ邪魔をしない構成になっていると思う。つまりよくデザインされているんだと思う。

sacaiのデザイナーが、日本の面白いところはMIXだと言っていた。

例えば高級街の銀座にも吉野家とかがあったり。そういう変なMIXが日本らしい、という。

だとしたら、日本人は固定概念とかなく、なんでも混ぜちゃうのが得意な性質を持っているんだろうと思う。しかも高いレベルで割と実現できちゃうっていう。

そこは勤勉だからかな。

 

こうした事から私がこの先何を土壌としてデザインして行くか、というと

・タブーを作らない

というのは一つ言える事だと思う。

でもこれはなんでも許すってわけじゃない。

それなりの審美眼は自分の中で培って行かないといけない。

 

もう一つは、

・育ってきた環境と自然観

を強みにしていきたいと思う。

 

うちには大工の棟梁だったひいおじいさんが造った大きな神棚が家にある。

別に何か特別な宗教に入っているという訳ではないが、なぜかうちにあるのだ。

物心ついた頃から、父や母がその神棚に向かって毎朝お参りしているところを見てきた。

晦日には1年納めていたお札を真白い紙袋に入れ、年が明けたら、歩いて数分の近所の神社に納める。

そして埼玉の毎年行っている神社に初詣に行き、御祈願を受けたあと、新しいお札を受け取るのだ。

小さい頃はその神社にいる池の亀に会いたいがためについて行ったり、屋台のあんず飴食べたさについて行ってた程度で、なんて事ない事だと思っていたが、こうして大人になると、とても意味のある行為だという事に気づく。

今思えば、私が空間に自然と興味を持った起源はきっとこういった経験からだと思う。フィールドが決まったのはきっと東日本大震災から。

家の神棚や神社やお寺に行った時に感じる、なんとも言えない緊張感や清潔感、そう言ったもの印象は森に入った時などの自然に近いものを感じる。

私はこういった事を人に感じ取ってもらえるような作品を作りたい。

ある場所に踏み入れた時に感じる、あの、息を飲む、美しい、感動する瞬間。

そうゆう感覚を届ける事を、自分の哲学としたい。