モノを創ること
モノを創る意味というのはなんなのか、改めて考える。
本当に魂を売ることをしなくてはならない時ってあるのだろうか。
”売れる”とはなんだろう。キャッチーなものが売れるのか、と言ったらそうではないと思う。やっぱりその先のストーリーを感じられたり、感じ取れるものは売れるんだろうけど、宣伝、人にどう伝えて行くか、ということが密接に絡んでいるんだと思う。
これから何か創る時は、必ずそれが社会に出てどういう意味になのか、ということを考えなければいけない。
今は消費行動をどう変えられるのか、ということに着目してる。
消費行動、というのは今の時代、心理的幸福感・満足感と自己評価・自己肯定感が密接に絡んでいる。(self-satisfactionとself-evaluation)ただお金があって、何かを持てる(possess)ことが幸せに繋がっていないことは、産業革命からそうだったはず。
Olafur Eliassonの本からの引用で、
"self-evasuation gives us the opportunity reflect on the relativity of the world in which we live, to reimagine it, and to reposition ourselves in society.
とある。つまりデザインは生活の中に入っていく身近なものとして、これを喚起できる一つのメソッドでもある。
日本(先進国)は選択がありすぎて、同じような均一化された価値観、モノの見方でモノを買っていると思う。私は、そういう中で、やっぱりコミュニティの不足、というのを特に日本では強く感じる。
横の繋がりを消費行動に落とし込めないか。私は環境に興味があるので、そちらの方面で動いてみたいと思う。
アルバイトという身分で実験してみよう。
そのために、営業に要求することも、実店舗で必ず言って欲しいことも全て決めたいと思う。そういうのが、今は欠けてる。モノを創って人に届けるシステム全体考える。
欧米にはそういう文化がたくさんある。それはやっぱりland scape designとかその土地の環境もあるのだろうか。昔からあるマーケットとかは今も健在だし、人で賑わってる。
人間にはそういう要素が生きてく上で必ず必要なはずだ。
それが人生の豊かさに繋がっているのだと思う。
貧しい、お金がないというのは惨めだ。
でも惨めなりに楽しめる人生の在り方を提示できるような人になりたい。
東北のボロはまさにその真骨頂。いいものでなくてもいいんだけど、思い入れのあるものを大事に使う。その気持ちは全てのエコ活動に繋がるはずだ。